水前寺エリア
2022年03月15日
水前寺成趣園
水前寺成趣園は、寛永13年(1636)に細川家の初代熊本藩主忠利公が、この地に御茶屋(藩主の休憩・宿泊用の別荘)と豊前(大分県中津市)羅漢寺(らかんじ)の僧・玄宅のための寺を建てたことに始まります。
寺は「水前寺」と号され、御茶屋はのちに「水前寺御茶屋」と呼ばれるようになりました。

寛文11年(1671)、5代綱利公の代に現在とほぼ同規模の庭園が造られ、中国の詩人・陶淵明の「帰去来の辞」の一節から成趣園と名付けられました。“日ごとに趣がでてくる庭園”という意味です。
阿蘇の伏流水をたたえる回遊式の庭園で、藩主たちが憩い、文芸に親しむ場所でした。

しかし、明治10年(1877)の西南戦争では「酔月亭」も焼失するなど荒れ果ててしまいます。
そこで、翌年には旧熊本藩士の尽力によって出水神社が園内に創建され、復興が進められました。

池や築山の姿など350年前とほとんど変わらずに保存されている希少な大名庭園です。