2022年03月15日
幽斎公と忠利公の銅像
◇稀代の達人、肥後細川家の祖・幽斎公
幽斎(ゆうさい)公は天文3年(1534年)、室町幕府に仕える三渕家の父と、学問に秀でた清原家の母の間に京都で生まれました。のちに細川元常の養子となります。
室町幕府復興のために20年間足利将軍を支え、以後、信長、秀吉、家康と仕えた数少ない武将です。先を見通す優れた判断力と決断力によって乱世を乗り切り、細川家の命運を繋いだ人でした。
また、弓馬も免許皆伝ながら、和歌、能、茶の湯、有職故実(公儀の決まり事)などの諸芸にも通じ、いずれも名人の域に達したという当代随一の教養人でもありました。まさに、細川文化の豊かさを象徴する人です。
◇心配りの苦労人、細川家初代熊本藩主・忠利公
忠利(ただとし)公は天正14年(1586年)、2代忠興(ただおき)公とガラシャの三男として生まれました。
成趣園の始まりとなる御茶屋と水前寺を建てた忠利公は、地震で荒れ放題だった熊本城の修復、幾度もの風水害や島原・天草の乱への対応などに苦労しつつ精力的に領内整備を進め、生涯をとおして熊本藩発展の基礎作りに努めた藩主です。
細やかな心配りで幕府からの信頼も厚く、民心への配慮も怠りませんでした。
晩年の宮本武蔵を熊本に招き、武蔵は熊本で兵法書『五輪書』をまとめて没しました。小倉藩主時代、日本初のワインの製造でも知られます。