2022年03月15日
出水神社
旧細川家家臣たちが創建した藩主を祀る神社です。明治10年(1877年)の西南戦争で熊本の街は焼け野原となりました。翌11年(1878年)、旧家臣の有志らが藩主の御霊を祀り、人心を安定させて街を復興させようと成趣園の払い下げを受け、細川藤孝、忠興、忠利、重賢を主祭神とする出水神社を創建しました。
その後、他の歴代藩主と忠興の妻ガラシャも合わせて15柱が祀られました。創建翌年に園内の二つの石橋は神社への参拝者のために設置されました。大名庭園内に建てられた神社は他にもありますが、庭園そのものを境内地とする神社はここだけです。社殿は昭和20年(1945年)7月の熊本大空襲で焼失しましたが、昭和48年(1973年)に再建されました。
【被災した鳥居の再建】
平成28年の熊本地震で、社殿前、表参道、北参道の石造りの鳥居が全て倒損壊しましたが、神社が所有する水源涵養林で育った南郷檜を活用して再建されました。かねてより神社では湧水の源となる阿蘇地域に山林を育成して地下水保全に努めてきたことが生かされたものです。扁額の「出水神社」の文字は肥後細川家18代当主である細川護熙第74代内閣元総理大臣の筆によります。
倒壊した鳥居のうち、表参道の大鳥居は幽斎公没後300年記念で建造され、当時の総御影石製としては西日本一の大きさを誇るものでした。倒壊後の御影石は震災の記憶を留めるものとしてミニ鳥居や園内の漱石句碑に再利用されています。